はじめに
2025年現在、生成AIは私たちの生活やビジネスに革新をもたらす一方で、その急速な進化は新たな脅威も生み出しています。特にサイバーセキュリティの分野では、生成AIが悪用されることで、これまでには考えられなかった高度で適応性の高いマルウェアが出現し始めています。本稿では、Googleが警鐘を鳴らす「自己修正型AIマルウェア」に焦点を当て、その技術的特徴、サイバー犯罪市場への影響、そして企業や個人が直面するリスク、さらにはそれに対抗するための防御戦略について深く掘り下げていきます。
自己修正型AIマルウェアの台頭:新たなサイバー脅威
2025年11月6日にSecurity Affairsが報じたGoogleの警告は、サイバーセキュリティコミュニティに衝撃を与えました。Googleの脅威分析グループ(GTIG)の報告によると、アンダーグラウンドのサイバー犯罪市場ではAIを搭載したツールが著しく進化しており、特に「自己修正型AIマルウェア」の出現が確認されています。これは、生成AIが悪意ある目的で利用される新たな段階を示しており、従来のマルウェア対策の常識を覆す可能性を秘めています。
この報告によれば、GTIGは「PROMPTFLUX」と「PROMPTSTEAL」という新たなマルウェアファミリーを特定しました。これらのマルウェアは、実行中に大規模言語モデル(LLM)を利用するという画期的な特徴を持っています。これは、単にAIがサイバー攻撃の計画やコンテンツ生成に利用されるだけでなく、マルウェア自体がAIの能力を内部に取り込み、その振る舞いを動的に変化させることを意味します。
Google sounds alarm on self-modifying AI malware – Security Affairs
技術的特徴と脅威の本質
自己修正型AIマルウェアの最大の脅威は、その自律性と適応性にあります。従来のマルウェアは、開発者が事前に定義したコードとロジックに基づいて動作するため、シグネチャベースの検出や振る舞い分析によって特定されやすい傾向がありました。しかし、自己修正型AIマルウェアは、この前提を根底から覆します。
LLMの悪用:動的なスクリプト生成とコードの難読化
Googleの報告が指摘するように、PROMPTFLUXやPROMPTSTEALといったマルウェアは、実行時にLLMを利用して悪意あるスクリプトを動的に生成します。これは、マルウェアが特定の環境や防御メカニズムに応じて、その場で最適な攻撃ペイロードを生成できることを意味します。例えば、特定のセキュリティソフトウェアが稼働している環境では、それを回避するための独自のコードを生成し、別の環境では異なる手法を用いるといった適応が可能です。
さらに、これらのツールは自身のコードを難読化するためにもAIモデルを悪用します。難読化はマルウェアが検出を回避するための一般的な手法ですが、AIによる動的な難読化は、シグネチャベースの検出をさらに困難にします。マルウェアの署名が固定されず、常に変化するため、セキュリティベンダーが新たなシグネチャを生成しても、すぐに陳腐化してしまう恐れがあります。
自律性と適応性
最も懸念されるのは、AIモデルがオンデマンドで悪意ある機能を生成できる点です。これは、マルウェアがハードコーディングされた機能に限定されず、状況に応じて新たな攻撃ベクトルや回避策を「思考」し、実行に移す能力を持つことを示唆しています。例えば、ネットワーク環境の変化や防御システムの更新を検知した場合、それに合わせて自身の攻撃戦略を再構築し、実行することが可能になるかもしれません。
このような自律性と適応性は、従来のセキュリティモデルでは対応が難しい課題を提起します。静的な分析や既知の脅威パターンに基づいた防御では、常に変化し続けるAIマルウェアに対して後手に回る可能性が高まります。セキュリティシステムがAIマルウェアの挙動を学習し、リアルタイムで適応していく、より高度なAIを活用した防御システムが不可欠となるでしょう。これについては、過去記事「AIエージェントの実行能力進化とサイバーセキュリティ:脅威と防御戦略を解説」でも触れています。
サイバー犯罪市場の進化と国家レベルの脅威
2025年、サイバー犯罪のアンダーグラウンド市場は、生成AIの登場により劇的な変貌を遂げています。Googleの報告は、AIパワードツールが多様化し、攻撃のあらゆる段階をサポートする多機能ツールが多数出現していることを明らかにしました。
AIパワードツールの多様化とSaaSモデル化
現在のサイバー犯罪市場では、多くのAIツールが正規のSaaS(Software as a Service)モデルを模倣して提供されています。これには、広告付きの無料版や、画像生成、APIアクセス、Discord連携といった高度な機能を提供する有料版が含まれます。これにより、専門的な技術を持たない犯罪者でも、生成AIの力を借りて高度なサイバー攻撃を容易に実行できるようになりました。
例えば、フィッシングキャンペーンの作成は、生成AIによって劇的に効率化されています。ターゲットの情報を分析し、説得力のあるメール文面やウェブサイトコンテンツを自動生成することで、成功率の高いフィッシング詐欺を大量に展開することが可能です。これは、過去のニュース記事でも「ChatGPTを中心に他ツールの使い分けが進む」と指摘されているように、生成AIツールが広範に利用されている実態を裏付けています。
国家支援型アクターによる悪用
さらに深刻なのは、北朝鮮、イラン、中華人民共和国などの国家支援型アクターが、Geminiを含む生成AIツールを悪用し、そのオペレーションの全段階を強化しているという報告です。偵察(reconnaissance)からフィッシングの誘引作成、C2(Command and Control)開発、そしてデータ窃取(data exfiltration)に至るまで、AIは国家レベルのサイバー作戦において不可欠なツールとなりつつあります。
これらの国家レベルのアクターは、AIが生成する大量の情報を分析してターゲットを特定したり、高度にパーソナライズされたフィッシングメールを作成したり、あるいはセキュリティシステムの脆弱性を自動的に発見・悪用するツールを開発したりすることで、その攻撃能力を飛躍的に向上させています。自己修正型AIマルウェアは、このような国家主導のサイバー攻撃において、よりステルス性が高く、検出が困難な脅威として利用される可能性が高いでしょう。
企業および個人が直面するリスク
自己修正型AIマルウェアの台頭は、企業および個人にとって新たな、そしてより深刻なリスクをもたらします。
検出の困難さ
AIによる動的なコード生成と難読化は、従来のシグネチャベースのウイルス対策ソフトや、振る舞い検知システムによる検出を極めて困難にします。マルウェアが常にその姿を変えるため、セキュリティベンダーは常に後手に回らざるを得ず、ゼロデイ攻撃のリスクが飛躍的に高まります。
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標的型攻撃の高度化
AIは、ターゲットに関する公開情報を収集・分析し、個々の標的に合わせてカスタマイズされた攻撃シナリオを生成する能力を持っています。これにより、フィッシングメールの文面、悪意あるウェブサイトのデザイン、ソーシャルエンジニアリングの手法などが、これまで以上に洗練され、騙されやすくなるでしょう。企業は、従業員に対するセキュリティ意識向上トレーニングをさらに強化する必要があります。
サプライチェーンリスク
自己修正型AIマルウェアは、サプライチェーン攻撃にも悪用される可能性があります。信頼されたソフトウェアやシステムに巧妙に組み込まれ、特定の条件が満たされた場合にのみ悪意ある活動を開始する、といったシナリオが考えられます。これにより、一つの脆弱性が広範囲に影響を及ぼすリスクが高まります。
対抗策と防御戦略
この新たな脅威に対抗するためには、従来のセキュリティアプローチを見直し、生成AIの能力を逆手に取った防御戦略を構築する必要があります。
AIを活用した防御の必要性
AIマルウェアに対抗するためには、AIを活用したセキュリティシステムが不可欠です。振る舞い検知、異常検知、脅威予測など、AIの機械学習能力を最大限に活用し、リアルタイムでマルウェアの動的な変化に対応できるシステムを導入することが求められます。例えば、マルウェアがLLMを利用して動的にコードを生成するならば、防御側もLLMを活用してその生成パターンを予測・検知するようなアプローチが考えられます。
脅威インテリジェンスの強化
最新の脅威情報、特にAIマルウェアに関する研究結果や攻撃事例を常に収集・分析し、自社の防御体制に反映させることが重要です。Googleのような大手ベンダーからの警告を真摯に受け止め、情報共有を強化することで、新たな脅威への対応速度を高めることができます。
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セキュリティ意識向上とトレーニング
従業員一人ひとりがセキュリティの「最後の砦」であることを認識し、高度化するフィッシング詐欺やソーシャルエンジニアリングの手口を見抜く能力を高める必要があります。定期的なトレーニングや模擬攻撃を通じて、AIが生成する巧妙な偽情報に対する耐性を構築することが不可欠です。
多層防御戦略
単一のセキュリティ対策に依存するのではなく、ネットワーク、エンドポイント、クラウド、データなど、あらゆるレイヤーでセキュリティ対策を講じる多層防御戦略がこれまで以上に重要になります。SIEM(Security Information and Event Management)やSOAR(Security Orchestration, Automation and Response)といったツールを活用し、セキュリティイベントの監視と対応を自動化・効率化することも有効です。
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法規制と国際協力
自己修正型AIマルウェアのような高度な脅威に対しては、個々の企業や国家の努力だけでは限界があります。国際的な法規制の整備、情報機関間の連携強化、サイバーセキュリティに関する国際協力が不可欠です。責任あるAI開発の原則を確立し、悪用を防ぐための技術的・倫理的ガイドラインを策定することも重要になります。これについては、過去記事「【イベント】生成AI評価とリスク管理:実務ワークショップ:2025/11/15開催」や「【イベント】生成AIとデータプライバシー:2025/12/20開催:法的要件と技術的対策を解説」でも関連する議論がなされています。
2025年以降の展望
2025年、生成AIはサイバーセキュリティの攻防において、その中心的な役割を担うことになります。自己修正型AIマルウェアの出現は、サイバー攻撃が単なる技術的な脆弱性を突くものから、より知能的で適応性の高い「AI対AI」の戦いへと移行していることを示唆しています。
この動向は、AIセキュリティ研究の加速を促すでしょう。AIマルウェアの検出、分析、無効化のための新たなAI技術が開発される一方で、倫理的AI開発の重要性がこれまで以上に強調されるはずです。AIの悪用を防ぐための国際的な枠組みや技術的対策が、喫緊の課題として浮上してきます。
しかし、技術の進化は止まることがありません。サイバー攻撃者も防御者も、常に最新のAI技術を導入し、互いに出方を伺いながら、攻防のイタチごっこを続けることになります。この競争は、セキュリティ業界に新たなイノベーションを促す一方で、社会全体に対するサイバーリスクを増大させる可能性も秘めています。
まとめ
2025年、生成AIはサイバーセキュリティの風景を根本的に変えつつあります。Googleが警鐘を鳴らす自己修正型AIマルウェアは、その最たる例であり、LLMの能力を悪用して動的なスクリプト生成やコード難読化を行うことで、従来の防御策を無力化する可能性を秘めています。サイバー犯罪市場はAIによってSaaSモデル化し、国家支援型アクターはAIをあらゆる攻撃段階で利用することで、その脅威を増大させています。
この新たな脅威に対抗するためには、AIを活用した防御システムの導入、脅威インテリジェンスの強化、従業員のセキュリティ意識向上、多層防御戦略の徹底、そして国際的な協力が不可欠です。AIの進化がもたらすリスクを認識し、それに対抗するための技術的・組織的・倫理的な対策を講じることが、2025年以降のデジタル社会の安全を確保するための鍵となるでしょう。


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